生誕110年 東山魁夷展

《緑響く》昭和57(1982)年 長野県信濃美術館 東山魁夷館

《緑響く》昭和57(1982)年 長野県信濃美術館 東山魁夷館

《夕星》平成11(1999)年 長野県信濃美術館 東山魁夷館

《夕星》平成11(1999)年 長野県信濃美術館 東山魁夷館

《残照》昭和22(1947)年 東京国立近代美術館

《残照》昭和22(1947)年 東京国立近代美術館

《道》昭和25(1950)年 東京国立近代美術館

《道》昭和25(1950)年 東京国立近代美術館

《冬華》昭和39(1964)年 東京国立近代美術館

《冬華》昭和39(1964)年 東京国立近代美術館

《花明り》昭和43(1968)年 株式会社大和証券グループ本社

《花明り》昭和43(1968)年 株式会社大和証券グループ本社

《山雲》(部分)昭和50(1975)年 唐招提寺

《山雲》(部分)昭和50(1975)年 唐招提寺

《濤声》(部分)昭和50(1975)年 唐招提寺

《濤声》(部分)昭和50(1975)年 唐招提寺

《白い朝》昭和55(1980)年 東京国立近代美術館

《白い朝》昭和55(1980)年 東京国立近代美術館

《行く秋》平成2(1990)年 長野県信濃美術館 東山魁夷館

《行く秋》平成2(1990)年 長野県信濃美術館 東山魁夷館

展覧会概要

情感にみちた静謐な風景画により、戦後を代表する国民的日本画家と謳われてきた東山魁夷(1908-99年)。東山の生誕110周年を記念する本展覧会は、東京では10年ぶりとなる大規模な回顧展です。
横浜に生まれ、東京美術学校を卒業した東山は、昭和8年(1933年)にドイツ留学を果たし、後の画業につながる大きな一歩を踏み出しました。しかしその後、太平洋戦争に召集され、終戦前後に相次いで肉親を失うなど、苦難の時代を過ごしました。どん底にあった東山に活路を与えたのは、自然が発する生命の輝きでした。昭和22年(1947年)に日展で特選を受賞した《残照》の、日没の光に照らされて輝く山岳風景には、当時の東山の心情が色濃く反映しています。
東山の風景画の大きな特色は、初期の代表作《道》(1950年)が早くも示したように、平明な構図と澄んだ色彩にあります。日本のみならず、ヨーロッパを旅して研鑽を積んだ東山は、装飾性を帯びた構図においても自然らしさを失わず、青が印象的な清涼な色彩の力も駆使し、見る者の感情とも響きあう独自の心象風景を探求し続けました。
本展覧会では、完成までに10年の歳月を費やした、東山芸術の集大成とも言える唐招提寺御影堂の障壁画を特別に再現展示します。20世紀とともに生きた東山の創作の全貌を、壮大な障壁画を含む約80件の名品によってご堪能ください。

会 期 2018年10月24日(水)~12月3日(月)
毎週火曜日休館
開館時間 10:00~18:00
※毎週金・土曜日は 20:00まで
※入場は閉館の30分前まで
会 場 国立新美術館 企画展示室2E 
〒106-8558東京都港区六本木7-22-2
主 催 国立新美術館、日本経済新聞社、テレビ東京、BSジャパン
特別協賛 大和証券グループ
協 賛 大和ハウス工業、凸版印刷、トヨタ自動車、パナソニック、三井物産
特別協力 唐招提寺
協 力 長野県信濃美術館 東山魁夷館
観覧料(税込)
当日 1,600円(一般)、1,200円(大学生)、800円(高校生)
前売/団体 1,400円(一般)、1,000円(大学生)、600円(高校生)
  • 中学生以下および障害者手帳をご持参の方(付添いの方1名含む)は入場無料。
  • 11月23日(金・祝)、24日(土)、25日(日)は高校生無料観覧日(学生証の提示が必要)
  • 前売券は2018年9月4日(火)~10月23日(火)までの販売。ただし、国立新美術館では10月22日(月)まで。

【期間限定前売券】
東山魁夷展・ピエール・ボナール展セット券 2,200円(税込)※販売終了しました。
販売期間 : 2018年7月4日(水)~8月3日(金)
販売場所:展覧会ホームページ(オンラインチケット)、セブンチケット(セブンコード:067-024)、ローソンチケット(Lコード:31414)、チケットぴあ(Pコード:769-249)

早割ペアチケット 2,200円(税込)
販売期間 : 2018年8月4日(土)~9月3日(月)
販売場所:展覧会ホームページ(オンラインチケット)、セブンチケット(セブンコード:067-024)、ローソンチケット(Lコード:31414)、チケットぴあ(Pコード:769-249)、イープラス、CNプレイガイド

オリジナルトートバッグ付チケット(2,000枚限定) 2,300円(税込)
販売期間 : 2018年9月4日(火)~10月23日(火)
販売場所:セブンチケット(セブンコード:067-024)
※無くなり次第終了。

※手数料がかかる場合があります。
※期間限定前売券の国立新美術館での取り扱いはございません。

  • チケット取扱い : 国立新美術館(開館日のみ・期間限定前売券の取り扱いなし)、展覧会ホームページ(オンラインチケット)、
    セブンチケット(セブンコード:067-024)、ローソンチケット(Lコード:31414)、チケットぴあ(Pコード:769-249)、イープラス、CNプレイガイド、JTB(手数料がかかる場合があります)
  • チケットの詳しい情報は、展覧会ホームページのチケット情報をご覧ください。
  • 団体券は国立新美術館でのみ販売(団体料金の適用は20名以上)
  • 会期中に当館で開催中の他の企画展および公募展のチケット、またはサントリー美術館および森美術館(あとろ割対象)で開催中の展覧会チケット(半券可)を提示された方は、本展覧会チケットを100円割引でご購入いただけます。
  • 国立美術館キャンパスメンバーズ加盟の大学等の学生・教職員は本展覧会を団体料金でご覧いただけます。
  • その他の割引などお得な情報はこちらをご覧ください。
  • 会場での観覧券購入に次のクレジットカードと電子マネー等がご利用いただけます。
    クレジットカード:UC、MasterCard、VISA、JCB、AMEX、Diners Club、DISCOVER
    電子マネー:Suica(スイカ)、PASMO(パスモ)、ICOCA(イコカ)等、iD その他:J-Debit、銀聯
お問合せ 03-5777-8600(ハローダイヤル)

みどころ

1.計約80点《道》《残照》《緑響く》など代表作を網羅

本展では、代表作である《道》《残照》《緑響く》のほか、ヨーロッパや京都の古都の面影を描いた風景画など本画約70点と習作により、国民的画家と謳われた東山魁夷の画業の全貌をたどります。

《道》昭和25(1950)年 東京国立近代美術館
《道》昭和25(1950)年 東京国立近代美術館
《残照》昭和22(1947)年 東京国立近代美術館
《残照》昭和22(1947)年 東京国立近代美術館
《緑響く》昭和57(1982)年 長野県信濃美術館 東山魁夷館
《緑響く》昭和57(1982)年 長野県信濃美術館 東山魁夷館

2.東山芸術の集大成・唐招提寺御影堂障壁画を再現展示

構想から完成までに10年を要した東山芸術の記念碑的大作、奈良・唐招提寺御影堂の障壁画(襖絵と床の壁面全68面)を再現展示します。御影堂の修理に伴い、障壁画も今後数年間は現地でも見ることができないため、御影堂内部をほぼそのままに間近に見ることができる大変貴重な機会となります。

唐招提寺御影堂内部
唐招提寺御影堂内部

東山魁夷プロフィール

明治41(1908)年、横浜に生まれた東山魁夷は、東京美術学校を卒業し、ドイツ留学の後、太平洋戦争への応召、肉親の相次ぐ死といった試練に見舞われますが、そうした苦難のなか風景の美しさに開眼し、戦後はおもに日展を舞台に活躍しました。自然と真摯に向き合い、思索を重ねながらつくりあげたその芸術世界は、日本人の自然観や心情までも反映した普遍性を有するものとして評価されています。

撮影:日本経済新聞社
撮影:日本経済新聞社

展覧会の構成

1章 国民的風景画家

 終戦前後に、父、母、そして弟が亡くなって妻以外の身寄りを失い、また、空襲によって自宅も失った東山は、《残照》を発表する直前、人生のどん底にいました。写生のために千葉県鹿野山の山頂に座り、沈みゆく太陽が、遙かに連なる峰々を刻一刻とさまざまな色に染めていくさまを見つめていた画家は、この自然が作り出す光景と自分の心の動きが重なり合う充実感を味わいます。終戦直前、死を覚悟した時に見た平凡な風景が生命に満ち溢れて輝き、何よりも美しく感じた体験もあり、以後気負うことなく素直な目と心で自然を見つめ、そこに現われた生命に自分の心を重ねた風景画を描くようになります。
 日本中を写生して回り、写生地の特徴を残しつつも普遍化された東山の作品は、日本の風景に親しんだ人々にとってはよく見知っているもののように感じられ、素直に心を委ねることの出来る風景画となっており、やがて「国民的風景画家」あるいは「国民的画家」と呼ばれるようになります。

《たにま》 昭和28(1953)年 東京国立近代美術館
《たにま》 昭和28(1953)年 東京国立近代美術館
《秋翳》 昭和33(1958)年 東京国立近代美術館
《秋翳》 昭和33(1958)年 東京国立近代美術館

2章 北欧を描く

 昭和37(1962)年東山は北欧の旅に出ます。
 東京美術学校在学中に初めて接した、厳しい自然に溢れる木曽路など、北の山国への旅は、先祖が瀬戸内海に浮かぶ島の出で、自身も太平洋側の港町に生まれ育った東山にとって、その対極にあるような未知の世界でした。また、ドイツで美術史を学び、実際に西洋美術に触れる中で、感覚的で明るい南の文化に魅力を感じつつも、精神的で静かな北の文化に、より親近感を覚えてもいました。東山は、《残照》、《道》の発表以来、一躍人気作家となったにもかかわらず、その安定した温かい場所から抜け出ようと考えていたのです。
 果たして北欧の風景は想像通りのものであり、東山の焦点にぴったりと合いました。帰国後連作を発表すると、幻想的で清澄な画面が評価され、そこに青い色が多用されたこともあって「青の画家」というイメージがここに生まれました。

《映象》昭和37(1962)年 東京国立近代美術館
《映象》昭和37(1962)年 東京国立近代美術館
《冬華》昭和39(1964)年 東京国立近代美術館
《冬華》昭和39(1964)年 東京国立近代美術館

3章 古都を描く・京都

 京都は、北欧に旅立つ以前から、作家の川端康成より、急速に失われつつあるかつての姿を画面に描き止めるよう勧められており、また、東山自身にとっても、神戸時代以来たびたび訪れた懐かしい街でした。帰国後、皇室から依頼された新宮殿の大壁画制作の仕事は、設置される場所柄、日本的なものを前面に押し出した図柄でなくてはならなかったため、そのモティーフ捜しをしていると、どうしても、日本古来の文化の粋が集まる京都を避けて通ることが出来なかったこともあり、ついに日本の古都を代表するこの町を描くことに着手します。
 新宮殿の大壁画が完成したのと同じ年である昭和43(1968)年、「京洛四季」展で連作が発表され、大壁画と共に、北欧シリーズとは全く違う、画家の大和絵的側面が現れた日本回帰の作風として、東山の画風に新たな魅力を加えることとなりました。

《月篁》昭和42(1967)年 東京国立近代美術館
《月篁》昭和42(1967)年 東京国立近代美術館
《花明り》昭和43(1968)年 株式会社大和証券グループ本社
《花明り》昭和43(1968)年 株式会社大和証券グループ本社

4章 古都を描く・ドイツ、オーストリア

 京都シリーズを公表した翌年東山は、ドイツ、オーストリアへと旅立ちます。ドイツは東京美術学校卒業後から約2年間留学していたため、京都と同様に懐かしい町でした。人が長い年月をかけて介入することにより、親しみやすく雅やかにされた自然の風景を描いた京都の連作と比較して、この、ドイツ、オーストリアの連作は圧倒的に建物や街並みを描いたものが多い。それは、東山が、頻繁に建て替えられ、作り変えられる日本の街並みからよりは、人里近くの自然の方に、日本人が長年培ってきた文化的な営みを感じることが出来、一方、手つかずの自然からよりは、長い年月人が生活し続けるドイツ、オーストリアの堅牢な石造りの建物や街並みに、古都の魅力である文化の蓄積を感じ取った故ではないでしょうか。自然風景を主に描いてきた画家にとっては、やや異色な連作ですが、これもまた、東山の心を通わせることの出来る風景画に違いなく、その魅力の幅を広げました。

《窓》昭和46(1971)年 長野県信濃美術館 東山魁夷館
《窓》昭和46(1971)年 長野県信濃美術館 東山魁夷館
《古都遠望》昭和46(1971)年 個人蔵
《古都遠望》昭和46(1971)年 個人蔵

5章 唐招提寺御影堂障壁画

 昭和46(1971)年東山は熟慮の末、前年の暮れに奈良の唐招提寺から受けた、開山・鑑真和上の像を安置する御影堂障壁画制作と御厨子内部装飾の依頼を正式に受諾しました。大和朝廷の要請を受け、5度の渡航失敗を経て失明するも、6度目にして漸く日本の地に辿りついた鑑真。その鑑真が見たかったであろう日本の風景を抽出した《山雲》(山の代表)を上段の間床及び違棚の貼付絵と襖絵に、《濤声》(海の代表)を宸殿の間襖絵に、それぞれ描き、第一期の仕事として50年に奉納しました。そして、和上の御厨子を取り囲むように設置される松の間には、出身地である揚州の風景を襖に描いた《揚州薫風》を、両隣にあたる梅の間と桜の間には、第5回渡航に失敗した和上が1年間滞在した桂林の風景を襖に描いた《桂林月宵》と、中国の景勝地を代表する黄山の風景を襖に描いた《黄山暁雲》をそれぞれ配し、第二期の仕事として55年に奉納しました。56年最後に残った御厨子内部に、和上が初めて立った日本の土地である鹿児島の秋目浦風景を描いた《瑞光》を奉納した時は、構想から10年の歳月が流れていました。
 《山雲》、《濤声》の制作にあたっては、これまでに多くの日本の山と海を写生し、絵画化もしていたにもかかわらず、改めて日本中を取材して回ったといいます。また、中国の取材は53年の日中平和友好条約前であったため難航しましたが、3年に亘って3回訪問して目的を達成しました。画家人生で初めての水墨画にも挑戦し、《唐招提寺障壁画》の制作は、東山に、もう一つ重要な実りをもたらしました。それは「白馬のいる風景」という、これまでの作例にはない全く新しいモティーフでした。障壁画制作のため、鑑真和上の生涯や唐招提寺についての研究、構想を練ることに没頭した昭和47(1972)年にだけ、画面上を駆けたこの白馬について、東山は後に、自らの「祈り」の現れであろう、と、述べています。

《山雲》(部分)昭和50(1975)年 唐招提寺
《山雲》(部分)昭和50(1975)年 唐招提寺
《濤声》(部分)昭和50(1975)年 唐招提寺
《濤声》(部分)昭和50(1975)年 唐招提寺

御影堂障壁画

《山雲》昭和50(1975)年

《山雲》昭和50(1975)年

《濤声》昭和50(1975)年

《濤声》昭和50(1975)年

《黄山暁雲》昭和55(1980)年
《黄山暁雲》昭和55(1980)年
《桂林月宵》昭和55(1980)年
《桂林月宵》昭和55(1980)年
《揚州薫風》昭和55(1980)年

《揚州薫風》昭和55(1980)年

すべて唐招提寺

平面図

 奈良にある唐招提寺は律宗の総本山で、御影堂は境内の北側に位置する。興福寺旧別当寺院、一乗院の遺構を昭和39(1964)年に現在地に移築した。平成27(2015)年から始まった大修理により、今後数年間は現地でも拝観できない。本展では御影堂内部をほぼそのままに再現展示し、LED照明により東山芸術を最大限に堪能できるまたとない機会である。

6章 心を写す風景画

 白馬に導かれるように《唐招提寺障壁画》を完成させた東山は、この時はじめて、描くことは「祈り」であり、それであるならば、そこにどれだけ心を籠められたかが問題で、上手い下手はどうでもいいことなのだと思うに至りました。信じがたいことではあるが、これまでずっと自分には才能がない、と、思い続けていた画家は、やっと、自分が描き続けることの意味を悟り、価値を見出すことが出来たのです。より一層多忙を極め、70歳を超えた東山は、制作のために新たに写生に出ることもむずかしくなりましたが、これまでに見つめてきた無数の風景と描いてきたスケッチをもとに、迷いなく制作を続けました。そうして生み出された作品は、もはや日本でも外国でもなく、特定の地から離れ、自らの心の中に形作られた風景を描いたものとなり、東山の筆は画面の中を鮮やかに、自由自在に動き、輝きを増していきました。
 東山芸術の集大成として、凝縮された自然と自らの生命を描きつけた作品群を残し、東山魁夷は、平成11(1999)年90歳で惜しまれつつその生涯を終えました。しかし、その芸術は未だに、日本だけでなく世界の人々の感動を呼び続けています。

《白い朝》昭和55(1980)年 東京国立近代美術館
《白い朝》昭和55(1980)年 東京国立近代美術館
《行く秋》平成2(1990)年 長野県信濃美術館 東山魁夷館
《行く秋》平成2(1990)年 長野県信濃美術館 東山魁夷館